高松宮記念トリビア

高松宮記念特別競走の知られざる歴史や雑学から、傾向と対策までを一挙伝授!

高松宮記念の歴史トリビア
[トリビア1] 第1回大会は「オッズ盤完成記念レース」だった!?
 第1回の高松宮杯(72年)は、オッズ盤の完成を祝う「電化完成記念競走」として住之江で行われた。当時、住之江の南入場門と北入場門を入ったところに鉄骨造りの大型オッズ盤が完成。クリーム色に塗装された大型オッズ盤の前からは観客が動こうとしなかった。ちなみにそのとき優勝したのは平田光治(大阪・引退)だ。
[トリビア2] SGタイトルにも「高松宮杯」が付与されていた!?
 SGタイトルとして「高松宮杯」が付与された時期もあった。SGモーターボート記念は、「自治大臣杯(総務大臣杯)争奪」になる前の第20回大会(74年・丸亀)、第21回大会(75年・下関)、第22回大会(76年・桐生)、第23回大会(77年・浜名湖)が「高松宮杯争奪」の名称で開催された。
 その後、高松宮杯は78年に「高松宮杯特別競走」として開催地が住之江に固定され、87年には「高松宮記念特別競走」に改名。グレード制が導入された90年にG2、97年にG1に格上げされた。

[トリビア3] アノ「第32回大会優勝戦」の汚名返上が果たされた!?
 第32回大会(04年)の優勝戦では、前代未聞のアクシデントが起こった。
 石田政吾(石川)が、優勝戦のスタート展示での進入が6コースだったにも関わらず、本番レースで1コースに入り返還欠場(当時は展示で大外の場合、本番でインに入ることは禁止)。さらにこれが原因で、他艇のスタートが狂い、内艇3艇がFに散る大返還を招いてしまったのだ。以来、石田は長い間、記念戦線から遠ざかったが、昨年6年ぶりに高松宮記念にあっせんされ、見事優勝! あのときの汚名返上を果たした。自身にとって、実に8年ぶりのG1Vだった。


高松宮記念の傾向トリビア モーターの回転が一番上がる「季節」を味方につけることがカギ
 高松宮記念で過去4回優勝している太田和美(奈良)は、「高松宮記念が開催される時期は秋でしょ。秋はキャブレターの凍結防止パイプが装着される前なので、モーターの回転が一番上がり、パワーがあるので調整しやすい。僕が過去4回も優勝できているのは、秋の大会だからだと思います」と語る。
 出足関係が強くなれば、インからのスタートでスピードの乗りが良くなる。過去のデータを見ても、優勝戦はイン逃げか、まくり差し決着が多い。過去10年間の優勝者は1号艇が4回、4号艇が5回、2号艇が1回というデータが残っており、攻めるコースを手に入れた選手が優位にレースを運ぶといえる。
 もう一つ、注意しなければならないのは、チャレンジカップの出場権を懸けたボーダー上の選手の頑張りである。今年は大村での開催。ボーダー上にいる九州地区の選手の動向に注目しておきたい。
過去10年の優勝者第29回 2001.10  太田 和美(奈良)1/1 逃 げ第30回 2002.10  松井  繁(大阪)1/1 逃 げ第32回 2004.10  烏野 賢太(徳島)4/4 恵まれ第33回 2005.10  太田 和美(奈良)1/1 逃 げ第33回 2005.10  太田 和美(奈良)1/1 逃 げ 第34回 2006.10  太田 和美(奈良)4/4 抜 き   MOVIE第35回 2007.10  三嶌 誠司(香川)4/3 まくり差し MOVIE第36回 2008.10  田中信一郎(大阪)4/5 まくり差し MOVIE第37回 2009.9   太田 和美(奈良)1/1 逃 げ   MOVIE第38回 2010.9   石田 政吾(石川)4/4 差 し   MOVIE
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